SF・特撮系ライター/作家である聖咲奇さんの訃報をBluesky経由で知る。まだ自分が学生だった頃のほんの一時期、大変良くしてもらった記憶が蘇った。
あれは確か編集・ライティングの授業?かなにかで講師としてお目にかかったのが初めての出会い。
開口一番「お前らのうち、業界で飯食っていけるやつは一握りだから覚悟しとけ(関西弁で)」という啖呵に、「この爺さんやばいな」と思ったのと同時に、妙な説得力を感じたのを今でもよく覚えている。
80年代生まれの自分は先生(と呼ばせてもらう)のこれまでの偉大な功績や貢献がイマイチよく分っておらず内心イジりの対象でもあったが、企画立案や編集のノウハウのアドバイスには確かな説得力があり、自分は何だかんだ言って真面目に課題をこなしていたのだった。
ある時『SFに関して企画・編集の何かを作成して持ってくる』という自由課題の時、自分は当時(そして今でも)大好きなSF作家の北野勇作氏へのメールインタビューをしたものを整理して提出したのだが、それがなぜか激賞・気に入られてしまい、以降いろいろな事務所や会社につれてって貰うようになった。
その中でも一番覚えているのは「お前に就職先見つけてやる」と言われて伺った遊技機用映像?ゲーム?制作の会社。たしか社長が元一世風靡セピアだったかCHA-CHAだったか(それかその周辺。記憶違いだったら申し訳ない)の人で、やたら軽薄・胡散臭いなこいつと思いながら開発現場で見せてもらったのが(後に権利やらなにやらで爆発四散する)『大ヤマト零号』だったというオチ。
「お前なら今週中に席を用意してインターンから就職させてやる」と言われたが、前述の社長の怪しさと会社の変な空気感に対して強烈に嫌な予感がした自分は勇気を振り絞って「遠慮します」と伝えたのだった。そのあと奢ってもらったカレーの味はまったく記憶にないが、先生の白い髭にベットリついたルーと「おい、キーマ美味しいなあ」と言った先生の笑顔はよく覚えている。
正直、今の仕事のスキルに直結するような何かを学んだわけではないけれど、自分の知らない多くのジャンルだったオールドスクールSF(メタルナミュータント!)、(ユニバーサルモンスターズを始めとした)怪物・怪奇映画、そして当時まだ日本放映前だったのにVHSにダビングしてもらった『Futurama』は確実に自分のセンスの根底にある。今は心から尊敬している。
本当にありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。
