ゲームファンはカウンターストップの夢を(確実に)見る

 先日、「METAL SAGA ~砂塵の鎖~」をあれだけ叩いておいて(個人的には素朴な感想だけど)何を、と言われるかもしれませんが、実は結構遊んだりしています。現在プレイ時間11h35mくらい。まぁそのうち4時間くらいは夕食を食べたり風呂に入ったり仕事をしたり電話をしたりという時間が入っていますが、今の感じでは「全然遊べるなぁ」という感想です。

 遊んでいて強く思うのは、「とにかくやる事(やれる事)が多すぎる」という事。これは実は悪い意味ではなくて、むしろある種の「嬉しい悲鳴」的な感覚だったりします。そもそもこのメタルマックスのシリーズは、「縛りが無い」「遊び手の自由を大切にする」というコンセプトが根幹に敷かれているので当たり前といえば当たり前なんですが、なんというか、放射状にドバっと(任意の)タスクが発生する感覚は他のゲーム(特に日本製品では)意外と無かったりします。

 また、今作ではレベル上限が3桁まであり、ガリガリとレベルが天井知らずに上がっていく様が爽快だ、と色々な所から好意的な反応を見ました(mixiのコミュニティやMetalManiaxのbbsなど)。実は僕もそれを始めて知ったときに(自分でも不思議ですが)ちょっと嬉しく感じたような気がします。

 これらの事を考えると、(僕も含め)今のゲームファン(のある程度の部分)というのは、膨大な情報・タスクに溺れ、桁の多い数字の海に溺れる事に喜びを感じるものなんだなぁ、と改めて自分の実感として再確認しました。

 ゲーム創りの仕事をしていると、「シンプル」「機能美」「システムの完成度」という面から何かと「カッチリと纏めよう」というフォースが働く事が少なくありません。外観的にも中身的にも、フローやシステム、パラメータ構造がスッキリしている事こそ善、という暗黙のルールが(特に2000年代に入ってから)創り手の意識下にいつの間にか存在しているような気がします。しかもその意識は、ゲームに、またプレイヤーに対して誠実であろうと思う創り手であればあるほど、その意識は強い気がします。

 しかし実際は、多くのゲームファンはそれが(もちろん程度にもよりますが)煩雑であろうと、多くの作業が存在するほうが、また、同じく膨大なパラメータがひしめき合うシステム構造のゲームを求めていたりするのかなぁ、なんて思ったりするわけです。

 そう思えば、ここ昨今の「日本一ソフトウェア」作品群の隆盛は理にかなったものだと感じるし、逆にそう思わなければ、あそこまで売れる理由はなんだろう(萌え絵っていうファクターもかなり強いでしょうが…)、と頭を捻る事になるんですよね。*1

 まあ、別に答えを結んで終わろうとか、同業者に警鐘を鳴らそうとか、そんな大した話じゃあないです。僕がぼんやり思った事を自分であれこれ書いてみて、自分の考えが整理できればなあ、という感じのいつもの与太話です。webを汚して申し訳ない。

 あ、ちなみにカメは見つかりました。両親の寝室まで逃亡していたようです。一瞬彼の名前を「スミス」から「マックィーン」にしようか悩みました。

*1:悪い意味で言っているわけではなくて(実際日本一のゲームを買って遊んでいますし)、あくまでも純粋なゲームとしての魅力はどこなんだろうか、という話です

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